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茨木のり子さんの詩 5

『ギラリと光るダイヤのような日』

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために文法や算数や魚の生態なんかをしこたまつめこまれる
それから品種の改良や
理不尽な権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
バカな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
人は振り返って
自分が本当に生きた日があまりに少なかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかないその日々の中の1つには
恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう

「本当に生きた日」は人によって確かに違う
ギラリと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

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この秋スタートの「3年B組金八先生」の初回で紹介された詩です。

あの日以降、時々「本当に生きた日」について考えるようになりました。

 

汗と乾きにまみれて白球を追った放課後、言葉通り胸を焦がすような青い時代の恋、新しい命を産み落とすための苦しくも希望に満ちた長い夜。穂高連峰から朝日に染まる槍ヶ岳を見た時の心の震え。

これらは私にとっての「ギラリと光るダイヤのような日」です。

だけど、心の底から「今、私は生きているんだ」と感じるのは、むしろ苦しみの中にいる時です。

病の痛みと苦しみ、どうすることもできない事への葛藤、心をかきむしられるような苦悩。。。

そのさなかにいる時、胸の奥をギューッと握りつぶされる感覚と共に、「ああ、生きてるんだなー」と感じるのです。

しょっちゅうあって欲しくないですけどね(^^;)

  

平均寿命まで生きられるとして、ちょうど折り返し地点にいる私。

後半の人生にはてさてどんなことになるやら・・・。

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P1010962 アタシはいつも「生きてるぅ~」って感じなのーー!

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